天璋院 篤姫

天璋院 篤姫は天保6年12/19、鹿児島県の城下今泉家五代忠剛の長女として生まれました。今泉家といえば島津家の御一門のひとつその長女の名は一子(かつこ)といいました。幼い頃からとても利発で天真爛漫な明るい子でした。一子が19歳の時、島津斉彬の養女になり源 篤子(みなもと あつこ)に名を改めることになり篤姫と呼ばれるようになりました。篤姫は近衛家の養女を経たのち、ペリー来航に揺れる幕末の動乱期、安政3年12/18、篤姫21歳で徳川13代将軍家定と結婚、しかし一年半後には家定を亡くしてしまいます。夫の急死後はその名を天璋院と号し、若き14代将軍家茂の養母として、その妻和宮とともに江戸城大奥をとりまとめることとなります。幕末の動乱期には天璋院は実家の島津家が敵ともなりましたが、新政府に徳川本家の存続を働きかけるなどして、徳川家のために一心に尽くしました。明治16年11/20に49歳でその生涯を終えましたが、徳川家第16代当主家達(いえさと)を育てあげたのも天璋院といわれており、反幕府運動の激化に巻き込まれながらも大奥を預かる総師として江戸幕府の最後まで徳川家存続のために最後まで尽くしたのでした。歴史の中でも取り上げられることの少なかった篤姫ですが大河ドラマでは将軍の跡継ぎをめぐる凄まじい抗争と篤姫が力強く生きる様が豪華キャストで描かれています。

篤姫ゆかりの地

篤姫が生まれ育ったのは現在の鹿児島市内、鶴丸城のちょうど東北に位置する場所で現在は大龍小学校となっています。屋敷は現在は残っていませんが、今和泉家の本邸の敷地は4600坪もあったといわれています。小学校に隣接する海岸のそばには当時を偲ばせる石垣や当時篤姫も眺めたに違いない樹齢300年を越す松林などが今も残っています。また今和泉小学校の校庭には井戸や、当時篤姫も使ったとされる手水鉢が残されていて、市の文化財として指定されています。また今泉別館周辺の麓地区には、武家屋敷を思わせる石垣が残っています。今和泉島津家は延享元年に22代当主である忠郷によって再興されましたが、それだけに集落内には数多くの今泉家ゆかりの史跡が残されています。篤姫の実父である忠剛や兄の忠冬が眠る今和泉島津家墓地や、光台寺跡などがそれにあたります。最近ではドラマの放映に関連していぶすき篤姫館などもオープンしています。このように今和泉で歴史の趣きを感じ、大河ドラマとの対比や純粋に篤姫と向き合うといったような様々な楽しみ方で鹿児島を訪ねてはいかがでしょうか?

大河ドラマ主演 宮崎あおい

2008年1/6、篤姫は宮崎あおい主演でスタートしました。宮崎あおいは4歳の頃から子役としてデビューし、CMや雑誌などで活動していましたが、子役時代は名前のつかないような役が多かったのであまり知られてはいなかったのですが、本格的に女優業をはじめたのは1977年以降。「あの、夏の日 / とんでろ、じいちゃん」で映画デビューし、その後ピチレモンのモデルとしてレギュラーとなる。映画では2001年「害虫」やミュージカル『星の王子さま』などで活躍しました。2006年、NHK朝の連続テレビ小説「純情きらり」で、お茶の間にも広く知れ渡りました。2005年には社会現象にまでなったNANA(ナナ)で中島美嘉ダブル主演し興行収入40億円の大ヒットとなりました。そして2007年6月15日には、7年前に知り合った俳優の高岡蒼甫さんとご結婚されました。2008年、1/6より放送のNHK大河ドラマ「篤姫」で主人公の篤姫を演じる大河ドラマの主役としては歴代最年少で今、注目が集まっています。篤姫初回視聴率は20.3%とまずまずの滑り出しであった。今後に期待したいですね。

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